立ち読み

青年社長(下)

著者:高杉良
デザイン:角川書店装丁室

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第十三章 不振店舗へのテコ入れ



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 将也誕生の四日後、開店を翌日に控えた昭和六十二年(一九八七年)十二月二十一日の夕刻、“唐変木・下北沢店”のオープニング・セレモニーがワタミフードサービスと日本製粉の関係者によって催された。
 十日ほど前に、渡邉美樹が坂元雍明に電話で提案した。
「ワタミフードサービスが日本製粉の坂元さんたちをお招きするということで、お願いできませんか。お世話になったお礼の真似事をさせてください」
「喜んでお受けします。香木の時間が取れるようなら、出席してもらいましょう」
「社長さんにいらしていただけるんですか」
「五時から一時間くらいでしたら、なんとかなると思います。一度、香木に渡邉さんを紹介したいと思ってたんですよ。いいチャンスじゃないですか」
「ありがとうございます」
 渡邉は、日本製粉社長の香木正雄とまだ面識はなかった。
「開発部の女子社員も連れて行きます。何人ぐらいまでよろしいんですか」
「五十席ありますから、五十人まで大丈夫です」
「そんなには連れて行けませんよ。まあ、二十人ぐらいでしょうか。ワタミさんのほうと合わせて三十人ぐらいでどうですか」
「承知しました」
 当日、渡邉、黒澤真一、金子宏志、呉雅俊たちは午後四時に“唐変木・下北沢店”に集合した。
「入口が九〇センチしかないんだよねぇ。入口の狭いのが気になるなぁ」
 渡邉が誰とはなしに言った。
 しかも地下一階の店舗は、まっすぐ階段を降りて行くのではなく、突き当たりをもう一度ターンしなければならない。
 五時十分前までに、香木社長、高橋章夫取締役開発部長、坂元同部次長、橋本和敏同部員ら招待者全員が到着した。
 坂元が渡邉たちを香木に紹介し、名刺を交換した。
「笠井や坂元から、渡邉さんたちのことはよく聞いてます。よろしくお願いしますよ」
「きょうはお忙しい中を、社長さんにお越しいただいて感激しております。高橋部長、坂元次長には大変お世話になってます」
「それはお互いさまでしょう。渡邉さんたちのお陰で、日粉の外食産業部門にふくらみが出てきました。わたしも若い人たちの力を大いに期待してるんです」
「恐れ入ります。日本製粉さんの名前を穢さないように、一所懸命、頑張ります」
「会長が"新宿店"の開店日にお忍びで見に行ったそうですが、人波のもの凄さにびっくりしてましたよ。この店がそうなるといいですねぇ」
 香木は、親分肌の磊落な感じの男だったので、渡邉は緊張感がほぐれた。
 この当時、日本製粉の会長は八尋敏行だった。
「凄い人だねぇ。開店初日にしても、これなら心配ないよ」
「はい。わたくしも、これほど人が集まるとは思いませんでした」
 小柄なスーツ姿の年配の男に坂元が丁寧に応対しているのを、渡邉は接客しながら、ちらっと目にしたのを覚えていた。
 八月二十八日の昼下がりに、八尋はふらっとやってきたが、レジの前から店を覗いただけで帰った。
「いまのが八尋会長ですよ」
「ご挨拶もせずに失礼しました」
「猫の手も借りたいくらいなんだから、それどころじゃないでしょう」
 渡邉は、四か月ほど前、坂元とそんなやりとりをしたことを思い出しながら、五時になったのを確認して、店長の柳幸裕に目配せした。
 柳は今春、都立大学を卒業して、ワタミフードサービスに入社した。"つぼ八・高円寺北口店"のアルバイト組の一人だ。
 渡邉は、柳を“唐変木・下北沢店”の店長に抜擢した。
「お待たせしました。ただいまから“唐変木・下北沢店”のオープニング・セレモニーを開催させていただきます。わたしは店長の柳と申します。まず、日本製粉社長の香木正雄様から、ひと言ご挨拶を賜りたいと存じます」
「スピーチなんか、考えてこなかったぞ……」
 香木は坂元に話しかけながら、席を立ってレジに近い前方に進み出た。
「“唐変木・下北沢店”の開店、おめでとうございます。“新宿店”“吉祥寺東急店”につぐ三店目になりますが、若々しいワタミフードサービスの勢いを感じさせる素晴らしいお店ができて、わたしも大いに意を強くしております。この“下北沢店”の開店を機に、ワタミフードサービスのさらなる発展を期待してますが、わが日本製粉と致しましても、可能な限りバックアップしていきたいと思っております。以上をもちまして、わたくしの挨拶に代えさせていただきます」
 拍手がやむのを待って、柳が渡邉を紹介した。
「香木社長、大変ありがとうございました。それではワタミフードサービス社長の渡邉から、お礼のご挨拶をさせていただきます」
 渡邉は、にこやかに香木や坂元たちに語りかけるように話した。
「本日のオープニング・セレモニーに香木社長がお見えいただけると坂元次長からお聞きしましたとき、夢ではないかと思いました。香木社長から支援を惜しまない、というお言葉を賜って、わたくしは身の引き締まる思いでございます。ワタミフードサービスは、若くて小さな会社ですが、メンバー全員が心を一にして頑張ってきました。そして、わずか四か月足らずで“新宿店”“吉祥寺東急店”そして“下北沢店”と三店も出店することができました。ワタミフードサービスにとりましては“下北沢店”は七店目の店舗になりますが、この“下北沢店”を一日も早く軌道に乗せ、“唐変木”を発展させることが、日本製粉さんと相互信頼関係を深め、真のパートナーになれる近道だと確信しております。本日は、ほんとうにありがとうございました。“焼きん娘”が腕をふるって焼いた日本一美味しいお好み焼きをたくさん召し上がっていただきたいと思います」
 高橋の音頭で、シャンパンで乾杯したが、二十本用意した三〇〇ミリリットルの吟醸酒も一時間ほどで空になった。
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 翌日の開店日には、渡邉、黒澤、呉、それに坂元も昼前に顔を出したが、“新宿店”“吉祥寺東急店”のときと異なり、客足は鈍く、渡邉は不安になった。
 夜になっても、一度も満席にならなかった。