立ち読み

米原万里ベストエッセイI

著者:米原万里

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トルコ蜜飴の版図


 トルコ蜜飴という菓子の名前を初めて知ったのは、ケストナーの『点子ちゃんとアントン』という小説である。このシリーズ、わたしが小学生のころは結構人気があって、今でも同年輩にたずねると、必ず、
「ああ、読んだことある」
 という答えが返ってくる。しかし、
「トルコ蜜飴って出てくるでしょう」
 と問うても、十人中十人が首を傾げる。
「エッ、そんなのありましたっけ」
 話のすじに無関係に実にさりげなくトルコ蜜飴という言葉が出てくるので、大多数の読者の記憶をかすめもしなかったのだ。
 なのに、わたしときたら、トルコ蜜飴という字面を見ただけで、心が千々に乱れたのだった。なんて美味しそうな名前。どんな味のお菓子なのか。どんな色と形をしているのか。一度でいいから食べてみたい。
 思いが天に通じたのか、その機会は意外に早くやって来た。
 小学校三年の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋に寄って買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURECKYMED”直訳すると、「トルコの蜜」すなわちトルコ蜜飴だったのだ。
 ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。並のキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。
 なのに、ロシア人のイーラは言う。
「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ」
「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」
「えっ、ハルヴァを知らないの。じゃ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」
 夏休み明けの九月一日、イーラは約束を果たしてくれた。ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。蓋に白字で“ХАЛВА”(ハルヴァ)とだけ書かれてある。今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。
 蓋を開けると、ベージュ色のペースト状のものが詰まっていた。イーラは、紅茶用の小さなスプーンでこそげるように掬うと、差し出した。
「やっと手に入ったの。一人一口ずつよ」
 こちらが口に含んだのを見てたずねる。
「どう、美味しい?」
 美味しいなんてもんじゃない。こんなうまいお菓子、生まれて初めてだ。たしかにトルコ蜜飴の百倍美味しいが、作り方は同じみたいな気がする。初めてなのに、たまらなく懐かしい。噛み砕くほどにいろいろなナッツや蜜や神秘的な香辛料の味がわき出てきて混じり合う。こういうのを国際的に通用する美味しさというのか、十五カ国ほどの国々からやって来た同級生たちによって、青い缶は一瞬にして空っぽにされた。
 たった一口だけ。それだけでわたしはハルヴァに魅了された。ああ、ハルヴァが食べたい。心ゆくまでハルヴァを食べたい。それに、妹や母や父に食べさせたいと思った。ハルヴァの美味しさをどんなに言葉を尽くして説明しても分かってもらえないのだ。
 それからほどなくして父のモスクワ出張が決まった日には、スケッチブックを取り出して、まぶたに焼き付いたあの缶を描いて水彩絵の具で青く塗った。それを見ているだけで生唾がドクドク溢れてくる。
「お土産は何がいいかい」
 いつものように旅立つ前にたずねてくれた父に、スケッチブックの絵を手渡した。
「ハルヴァというお菓子、これをなるたけたくさん買ってきて」
 二週間後に帰宅した父の旅行カバンに、しかし青い缶はひとつも入っていなかった。父は仕事の合間を縫って、百貨店やスーパーや自由市場に足を運んだ。モスクワ在住の日本人にもたずねたらしい。
「えっ、そんなお菓子があるんですか?」と逆にたずね返されたと言う。
 それからは、父も母もハルヴァに対する好奇心が芽生えて、ソ連に出張するたびに探し回ってくれるのだが、一度も念願かなったことは無かった。一度だけ、自由市場で手に入れたというベージュ色の塊を父が持って帰ったことがある。お供え餅のような形をしている。
「露店の婆さんが、これがハルヴァだって言い張るんだ」
 イーラの食べさせてくれたハルヴァより白っぽくてカチカチに乾いていたけれど、胸がときめく。布巾でくるんで上から金槌でたたくと、無数の破片になった。一斉に手が伸びて、妹と母と父とわたしの口の中に破片は放り込まれた。
「ヌガーにごま油を染み込ませて乾燥させたみたいな味ね」
 思い切り期待はずれの顔をして母が言った。
「これならトルコ蜜飴の方が美味しい」
 と妹。父だけが、次々と残りの破片を口に放り込んで満足そうである。
「これは、子どもの頃に食ったムギコガシみたいだ」
「こんなもんじゃない!」
 小声で叫ぶと、それを呼び水に怒りと悲しみが突き上げてくる。
「これがハルヴァだと思われちゃ、ハルヴァが可哀想だ!」
 ソ連人の級友たちにそのことを話すと、一笑に付されてしまった。
「無理よ、無理。外国人旅行者が本物の美味しいハルヴァに出会えるのは奇跡みたいなものでしょ。なかなか店頭に並ぶことはないし、並んだとたんに売り切れちゃうもの」
「じゃ、その本物の見分け方はどうするの?」
 とたずねると、みな考え込んでしまって、出てきた答えは平凡だった。
「食べてみるしかないんだなあ」
「そうそう、ハルヴァの味は食べてみなくちゃ分からないってエンゲルス先生も言っている」
 これは不可知論に対して実践論を説いたエンゲルスが「プディング」にたとえて説明したところを「ハルヴァ」に置き換えた駄洒落だったのだが、大人になって、わたし自身がロシアに百回以上出張するようになり、そのことを何度も確認することになった。イーラの青い缶は一度もみかけなかった。
 その頃には、ハルヴァはロシアというよりも、旧ソ連のイスラム圏の人たちの作るお菓子ということが分かってきた。中央アジアのサマルカンドやヒワのバザールで、何度か父がかつて買ってきたのと同じお供え餅型のハルヴァに出くわした。毎回心ときめかして味見してみるのだが、決まって落胆する。いずれも乾燥ヌガーの域を出ないのだ。ウズベキスタンの都タシケントで現地の人がハルヴァイタルと名付けたデザートも食べてみたし、作り方も教わった。