立ち読み

米原万里ベストエッセイII

著者:米原万里

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   ドラゴン・アレクサンドラの尋問


「これは、どんな本なのか、話して聞かせてちょうだい」
 初めて学校の図書室を利用したときのこと。読み終えた本を、図書室の受付カウンターのところで返却しようとした刹那、カウンターの向こう側に座る縦横奥行きいずれも巨大サイズの女の人が、わたしから受け取った二冊のうちの上にあった方の一冊を手に取りパラパラと頁をめくりながらそう尋ねてきたのだった。本を借り出したときは見かけなかった人。でもあの日は図書室の入り口に、
「アレクサンドラ・ドミトリエヴナ先生は、お産のためお休みです」
 と書かれた紙が貼り出されていたのに、先ほど入室するときには外されていたのを思い出した。ああ、これが噂の先生なのだと、自然に身体が強ばる。
「図書室のアレクサンドラ・ドミトリエヴナ先生はものすごく怖い」
 とクラスメイトたちに恐れられているのは知っていた。本の返却が遅れたり、返却した本に傷がついていたりすると、三重顎のデップリした顔をイクラ色に染めて口からあらん限りの罵詈雑言を浴びせかけるらしい。
「ドラゴン・アレクサンドラがまた火を噴いた」
 いつのまにか、そんなあだ名がついていた。もっとも、クラスメイトたちが一番恐れていたのは、ドラゴンの別な面だったらしい。それは、どうやら、「ドラゴンのダプロス」と言われるものだった。しかし、「ダプロス」と聞こえる単語が何を意味するのか、わたしのロシア語力では理解できない。だから、理解できる範囲で最大限気を遣った。返却期日も守ったし、本も傷つけないよう丁寧に扱ったつもりだった。ところが、敵は思わぬ方向から攻めてきたのである。
「どんな内容だったの? 読んだのでしょう?」
 小麦色の眉毛に縁取られた青緑色の瞳を凝らして、ドラゴンはわたしの目を射貫くように見つめながら、催促した。
「さあ、マリ、話してごらんなさい」
 ああ、これだ、これこれ。みんなはこれを恐れていたのだ。ダプロスが「尋問」を意味することを、その瞬間に悟った。

 在プラハ・ソビエト学校小学部二年に編入して四カ月経っていた。全ての授業をソ連の教科書でソ連から派遣されてきた教師がロシア語で行う学校。ようやくロシア語の簡単な単語なら読み取ったり、聞き取ったりすることが、かなりおぼつかないものの何とか出来るようになっていた。それで、比較的活字の少ない、絵の多い本を図書室から借り出してみようと思い立ったのだ。しかし、書いたり話したりすることは、転校してきた当時からさして進歩していない。
 理解力と表現力のあいだには、雲泥の差がある。これは、別に外国語に限ったことではなく、母語であれ、音楽や絵画であれ、常にパッシヴな知識とアクチヴな知識のあいだには開きがあるものなのだ。たとえば、多くの日本人が松本清張や司馬遼太郎の作品を楽しんできたはずだが、そのうちの大半の人々は、同じレベルの作品を書けるわけではないし、世界の名曲、名画をこよなく愛する人々の大多数が、作曲家でも絵描きでもない。
 これは、至極当たり前のことなのだが、わたし自身が、それを生まれて初めて自分自身の問題として実感したのは、この学校に通うようになってからだった。あらゆる授業が、生徒のアクチヴな知識を確認する形で組まれていたからだ。たとえば、テキストを一段落ずつ生徒に声を出して読ませるということは、日本の学校の国語の授業でも度々行う。
「はい、○○君、良く読めましたね。では、△△さん、次の段落を読んでください」
 となる。ところが、ソビエト学校の場合、一段落読み終えると、その内容を自分の言葉で掻い摘んで話すことを求められるのだ。かなりスラスラ文字を読み進めるようになり、おおよその内容も理解できるようになったわたしも、この掻い摘んで話す、ということだけは大の苦手だった。当然、絶句してしまい先生が諦めてくれるまで立ち尽くすということになる。非ロシア人ということで、先生も大目に見てくれていたのだ。
 ところが、ドラゴンは執念深かった。なかなか諦めてくれない。しかし、十二分に楽しんだはずの本の内容を話して聞かせようとするのだが、簡単な単語すら出てこないのである。俯いて沈黙するわたしに、ドラゴンは助け船を出してくれた。
「主人公の名前は?」
「ナターシャ……ナターシャ・アルバートヴァ」
「歳は幾つぐらいで、職業は?」
「ハチ。ガッコウイク。ニネン」
「ふーん、八歳で、普通学校の二年生なのね。それで」
 ドラゴンは、わたしの発する一語一語をまるで腹を空かせた猛獣がテリトリー内にいる獲物を一匹たりとも逃すまいとするかのようにひっつかまえて、いちいち正しい言い方に直し、整った文章に再構成してみせる。そしてさらに先に進むよう促すのだった。
「チーサイネコヒロウ。ナターシャネコアイスル。トテモトテモアイスル。ママダメイウ」
「そうか。身寄りのない仔猫が可愛いくて仕方なくて、拾って飼おうとしたのだけど、母親が許してくれなかったのね。それで」
 わたしの話を聞き取ることに全身全霊を傾けている、ドラゴンの獰猛に輝く青緑色の瞳に吸い込まれるようにして、わたしは何とか本のあらすじを最後まで話し、さらには作者のメッセージを曲がりなりにも言い当てることができた。それでもドラゴンは飽き足らず、二冊目の本について話すよう催促し、同じような執念深さで聞き取っていく。

 ようやくドラゴンから放免されて図書室から出てきたときは、疲労困憊して朦朧とした意識の中で、金輪際ドラゴンの尋問は御免被りたいと思ったはずなのに、まるで肉食獣に睨まれて金縛りにあった小動物のように、わたしは図書室の本を借り続けた。そして、返却するときにドラゴンに語り聞かせることを想定しながら読むようになった。活字を目で追うのと平行して、内容をできるだけ簡潔にかつ面白く伝えようと腐心しているのである。不思議なことに、その方が面白く、集中力が増すのか、それともロシア語力が伸びていた時期と重なっていたせいか、読む速度がどんどん速くなっていった。
 ドラゴンは毎回注意深く聴き入り、大げさなくらい肯いたり笑ったりする。そしてビシビシわたしのロシア語の語彙や文法の誤りを指摘し、そのうち、わたしの読み方の甘いところを容赦なく突いてくるようになった。議論になって、帰りのバスに乗り遅れてしまったこともある。
 ある日、国語の授業で、声を出して読み終えた後、国語教師はいつものように期待せずに、形だけの要求をした。