立ち読み

エリートの転身

著者:高杉良

文字サイズ変更   

エリートの転身



「きみに、本店営業本部から、“ぜひもらい”がかかっているんだが、受けてもらえるかね」
 日興證券取締役株式本部長の宮本正夫から、神田光三に呼び出しがかかったのは、昭和五十一(一九七六)年十月三日夕刻のことだ。
 宮本は薄くなった後頭部を気にしながら、応接室のソファーで話をつづけた。
「本部の営三部次長ということだから、もちろん栄転だ。将来の社長候補を失うのは、株式部としては辛いところだが、社長の意向でもあるらしい。神田には、いろいろ経験を積ませるのがいいだろうと社長は考えてるようだ。人事部長が気を遣って、わたしから神田の意向を打診してもらいたい、と言ってきたわけだ」
 神田は二重瞼の涼やかな眼許といい、隆い鼻といい、百七十五センチの上背といい、なかなかの美丈夫である。いつも清々しい雰囲気を漂わせているせいか、上下左右に関係なく、社内の人気者だった。
 立て板に水のなめらかな口調の割りには、面倒みのよさが神田を一選抜中の一選抜に押し上げたとも言える。三十歳代の次長職は、むろん昭和三十六(一九六一)年入社組のトップだった。
 神田は慶應義塾普通部から高校を経て商学部に進んだが、日興證券に入社したのは、創業者の遠山元一が父方の祖母の従父兄だったことと無関係ではなかった。文字どおり、“ぜひもらい”によると言えた。日興證券の幹部が約束されていたのである。
 宮本が「将来の社長候補」と言ったのも、あながちリップサービスではなかった。
 明治二十三(一八九〇)年七月二十一日生れの遠山元一は、埼玉県の豪農だった生家が没落したため、兜町に丁稚奉公に出されたが、大正七(一九一八)年に独立し、川島屋證券を設立した。そして、昭和十九(一九四四)年に日興證券と合併し、社長に就任、昭和二十七(一九五二)年会長、昭和三十九(一九六四)年相談役に退いた。
 東京証券取引所理事および東京証券業協会最高顧問なども歴任、証券業界の立志伝中の人として知られている。昭和四十七(一九七二)年八月九日に八十二歳で天に召された。“遠山天皇”と称されたほどのワンマンぶりは、つとに聞こえていたが、敬虔なキリスト教徒でもあった。
 遠山元一は、三男、直道を後継者としたが、副社長だった昭和四十八(一九七三)年に飛行機事故で急逝した。
 神田入社時の日興證券の社長は、興銀出身の吉野岳三だった。
 神田は内心、本店営業本部への異動に反発したが、一サラリーマンの立場でノーと言えないことは百も承知だ。遠山家との親戚関係もいまや無きに等しいと殊勝に思わぬでもなかった。
 神田はにこやかに、宮本に向かって頭を下げた。
「お気を遣っていただき、恐縮です。もちろん、受けさせていただきます」
「十月十日付で発令したいと人事部長は話していた。そのつもりでお願いする。あとで人事部長と会ってもらうのがいいな」
「承知しました」

 この夜、神田は、妻の佐知子に人事異動の話をした。
「株式部はノルマがなかったが、営業部門はノルマがきついから、大変だろうな」
 神田と佐知子は、昭和四十一(一九六六)年五月に結婚した。
 神田は白金台、旧姓竹内佐知子は目黒に住んでいたので、神田は学生時代に聖心女子大生の佐知子を見かけていた。『チャーミングな女性だな』と好感を持ったが、まさか結婚するとまでは思いもよらなかった。
 ところが、大学の一年先輩に見合いをすすめられた相手が佐知子だった。神田が二十七歳、佐知子が二十五歳のときだ。
 佐知子は三人姉妹の末娘で、父竹内政治が四十二歳のときに誕生した。二人の姉との年齢差は、十歳以上離れていた。姉は二人とも結婚していた。
 神田は初めて政治に会ったとき、佐知子の祖父かと思った。
 銀髪の老紳士は、神田に会うなり、「株屋にも紳士がおるんだねぇ」と言い放った。株屋風情に、大切な娘は勿体ないと考えていたのだろう。
 佐知子も見合い話が持ち上がったとき、「株屋さんなの。気が進まないわ」と乗り気ではなかった。
「株屋にもいろいろありますよ。日興證券は四大証券の中でも、野村に次ぐ二位です。神田君は創業社長の親戚ですし、日興證券で偉くなる男です。家柄も立派だし、相当な美男子ですよ」
 仲人口でないことは、神田と見合いしたときに佐知子も悟った。
「僕は学生時代、佐知子さんを何度か見かけています。聖心女子大生と聞いたとき、その可能性もあるかなと、ほのかに期待しないでもなかったのですが、まさか、それが実現するとは思いませんでした」
 ひと月足らずの交際期間で、神田は佐知子にプロポーズし、受け入れられた。
 二人の新婚生活は、阿佐ヶ谷の神田の伯父の離れ間を借りて始まった。渡り廊下を隔てて、広間が二部屋もある豪華な住いだった。
 神田が二十九歳、佐知子が二十七歳のとき、長男の光教が誕生した。光教は利発な子で、いまは慶應幼稚舎の三年生だ。
 佐知子が神田の二杯目の水割りウイスキーをこしらえながら、吐息まじりに言った。
「あなたは日興證券で、入社早々場立ちをやらされましたよねぇ」
「遠山元一さんは、丁稚奉公の時代の厳しい経験を僕にもやらせたかったんだろうな。たしかに大卒の場立ちは、同期入社組では僕一人だけだった。周囲は中卒、高卒の叩き上げばかりだし、ちょっと惨めな思いもしたが、お陰で精神的にタフになったことは確かだと思うよ」
 場立ちとは、東京証券取引所で指を立てたり、引っ込めたりしながら、声を張りあげる株の売買仲介役のことだ。神田は声がよく通ることも手伝って、七年も場立ちをやらされた。
 日興證券の大卒組では、後にも先にも神田しか経験していない。
「せっかく株式部の課長さんになって、やれやれと思っていた矢先に、こんどはノルマのきつい営業部ですか」